第2部 山城に旗靡き 四面に奔走する |
1565年 | ||||||||||||||
1月 | 封牙舞 | 主力部隊を再編成 | ||||||||||||
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2月 | 御子神黄泉 | 重臣最上義守が上杉謙信の元へ出奔する。 | ||||||||||||
3月 | 封牙舞 | このころ京の都は荒れ果てていた。足利義輝の激を受けて舞は京の都を復興させるべく上洛を決意、封牙舞軍団遠征を開始する。 | ||||||||||||
御子神黄泉 | 御子神黄泉、武田信玄、上杉謙信の三つ巴の戦いが激化する。 とくに越後の新発田城、栃尾城は毎月その所有権がかわるほどの激戦区となる。 |
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4月 | 封牙舞 | 柴田勝家軍団の稲葉一鉄が突如今川義元の元に出奔する。これにより岡崎城の守備力が低下し、今川と一触即発のにらみ合いが始まる。 | ||||||||||||
5月 | 御子神黄泉 | 武田、上杉とのにらみ合いの隙をついて主力を南下。伊達輝宗を攻めてこれを配下にする。 | ||||||||||||
6月 | 封牙舞 | 遠征軍、京への最短距離をとる、その前に立ちはだかる六角義治を観音寺城にて破り軍を進める。 | ||||||||||||
8月 | 封牙舞 | 遠征軍、室町御所に到達。傀儡となっていた足利義輝を奉じて京に駐屯する。 | ||||||||||||
9月 | 封牙舞 | 遠征軍、京の都を復興させるため各事業に乗り出す。 敵対勢力に忍者工作(若林瀬奈)、独立勢力を説得(御巫綾冬)、物資取引(紫月織雅) |
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浅井長政 | 京に物資補給していた封牙家の輸送部隊を強襲、これを壊滅させる。これにより封牙家、浅井家一触即発に。 | |||||||||||||
10月 | 百地三太夫 | 封牙舞に賛同し、自ら出仕する。若林瀬奈を筆頭とした忍者組「夕凪組」を結成する。 | ||||||||||||
封牙舞 | 説得に応じなかった京付近の独立勢力に向けて水無月瑠璃、榊原小神、簓葉十兵衛が出陣する。 | |||||||||||||
1566年 | ||||||||||||||
1月 | 封牙舞 | 水無月瑠璃、榊原小神、簓葉十兵衛が京付近を平定して帰還。以後京復興事業に従事。 | ||||||||||||
4月 | 佐竹義昭 | 天下を目指した佐竹義昭、病にて没。佐竹義重がその志を継ぐ。 | ||||||||||||
御子神黄泉 | 御子神黄泉、上杉謙信、武田信玄による激戦は更にその戦場を広めていく。この数年に渡る戦略、戦術の駆け引きは後に「信越三国志」と呼ばれることとなる。 | |||||||||||||
6月 | 封牙舞 | 京の都における全内政が終了する。 | ||||||||||||
7月 | 封牙舞 | 軍団再編成に向けて真神愛美、簓葉十兵衛を岡崎に先発させる。また天風星鈴も一時舞の元へ向かい、共に岡崎へ向かう準備にかかる。 | ||||||||||||
9月 | 封牙舞 | 柴田勝家軍団に真神愛美、簓葉十兵衛が合流、今川の吉田城を攻撃、陥落させる。 | ||||||||||||
10月 | 封牙舞 | 柴田勝家軍団、手薄だった長篠城に軍勢を派遣するが、一歩違いで敵の大軍が援軍として到着する。敵を内応によって混乱させるものの多勢に無勢、撤退を余儀なくされる。この時簓葉十兵衛が殿軍となって、獅子奮迅の働きをし、味方の損害を最小限にとどめた。 | ||||||||||||
上杉謙信 | 上杉景勝の大軍が飛鳥慎を破る。信越三国志の一大転機となる決戦に勝利。以後上杉が三国の中で一歩先んじる。 | |||||||||||||
12月 | 封牙舞 | 織田残党が数多く立てこもる筒井順慶へ向かって出陣(封牙舞、若林瀬奈、天風星鈴、榊原小神、御巫綾冬、水無月瑠璃、百地三太夫) ここに、近畿の派遣をかけた「大和筒井の戦い」が始まる。 「大和筒井の戦い」 |
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1567年 | ||||||||||||||
1月 | 封牙舞 | 大和筒井の戦いに勝利をおさめる。 | ||||||||||||
今川義元 | 大軍を率いて吉田城を包囲する「吉田城の戦い」 | |||||||||||||
2月 | 封牙舞 | 舞、天風星鈴、岡崎の最前線に移動。軍団再編成 | ||||||||||||
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波多野春通 | 封牙舞の不在となった京を付け狙う。 | |||||||||||||
3月 | 封牙舞 | 囮の輸送部隊で波田野軍をおびき出し、榊原小神軍団にて居城を包囲、翌月城を陥落させる。 | ||||||||||||
4月 | 封牙舞 | 榊原小神軍団、山城を拠点に、畿内・伊勢・摂津・紀伊を平定する大作戦を開始する。 | ||||||||||||
今川義元 | 今川、武田連合軍2万の軍勢が、移動を終えたばかりの封牙舞軍団4千に襲撃をかけるが、完膚無きまでに叩かれ、今川義元も戦死する。今川氏真が後を継ぐ。 | |||||||||||||
7月 | 武田信玄 | 上杉との戦いに時間を使いすぎているうちに、封牙家の攻撃を受けることとなる。そんな中、義元亡き今川との同盟に関して信玄と長男義信の意見が正面から対立。義信は謀反を企んだ咎によって謹慎を命じられ、数ヶ月後に急死する。自害か病死かは謎である。 | ||||||||||||
10月 | 封牙舞 | 紫月織雅が剣の道を極めんとして封牙家を出奔する。舞も彼の心を察して、追っ手を出さなかった。 | ||||||||||||
11月 | 封牙舞 | 駿府城を攻略する。今川家は滅亡する。 | ||||||||||||
1568年 | ||||||||||||||
1月 | 封牙舞 | 若林瀬奈、若林七海姉妹が、夕凪琴音、夕凪七海と改名する。 | ||||||||||||
5月 | 封牙舞 | 榊原小神軍団、着実に平定作戦を遂行するが、本願寺がその前に立ちはだかり、苦戦を強いられる。 | ||||||||||||
6月 | 封牙舞 | 今川を滅亡させた舞は美濃に帰還、続いて武田を攻める為軍団を再編成する。 | ||||||||||||
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7月 | 武田信玄 | 封牙舞にわざと手薄にした信濃深志城を攻略させ、伏せていた軍勢で強襲をかける。「深志の戦い」 | ||||||||||||
封牙舞 | 信濃平定作戦で手薄になった深志城に武田軍が迫るが、陣中の軍師山本勘助が病死、軍勢はそのまま引き上げていく。 | |||||||||||||
1569年 | ||||||||||||||
1月 | 封牙舞 | 武田信玄との決戦に向けて封牙舞、竹中半兵衛は長期的な作戦を実行することとなる。この戦いは後に「躑躅崩しの計」と呼ばれる事となる。 | ||||||||||||
2月 | 封牙舞 | 「躑躅崩しの計」として駿府と深志の守備を薄くして、封牙舞自身も主力を率いて西路をとる。 | ||||||||||||
3月 | 武田信玄 | 武田信玄自らが封牙舞の駿府城を攻撃、封牙舞旗揚げ時代からの宿将斎藤利三が指揮をとるが、守備軍は信玄の前に壊滅、斎藤利三も降伏するものの、兵糧つきて駿府城は首の皮一枚で落城を免れる。 | ||||||||||||
4月 | 武田信玄 | 高坂昌信、山県昌景が封牙舞の深志城を攻撃、守備軍は竹中半兵衛が指揮、落城寸前にまで守備軍は傷つきつつも撃退。 | ||||||||||||
5月 | 封牙舞 | 武田信玄、高坂昌信がそれぞれ駿府、深志に軍を向けた間隙をぬって封牙舞率いる主力軍、武田の居城「躑躅ヶ崎館」を強襲。「躑躅ヶ崎の戦い」 | ||||||||||||
6月 | 封牙舞 | 捕縛した斉藤利三を説得、再び封牙家に仕える事となる、躑躅ヶ崎を任せて封牙舞達は深志に帰還。「躑躅崩しの計」は駿府、深志が落城寸前という危機を招きながらも勝利に終わる。 | ||||||||||||
7月 | 封牙舞 | 駿府から帰還してきた武田信玄が躑躅ヶ崎を迂回して海津城を目指していた。それを知った斎藤利三は独断で武田信玄に挑む。敗残の帰還軍だったはずの武田信玄であったが、それでもその騎馬隊は健在であった。 封牙舞旗揚げ時代から苦楽を共にし、一度は武田にとらわれ降伏したものの再び帰還した斎藤利三はこの日、信玄の騎馬突撃によってその命を閉じた。父を失ったうまれたばかりの赤子が後に春日局と呼ばれることとなるとはこの時は誰も知らなかった。 |
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10月 | 武田信玄 | 封牙舞が到着する前の深志城に武田勝頼、高坂昌信、山県昌景、馬場信房が強襲をかけるが、竹中半兵衛の防衛と封牙舞の帰還によって撃退、この戦いで高坂昌信は降伏、山県昌景は戦死する。武田軍は海津城に集結する。 | ||||||||||||
12月 | 封牙舞 | 御巫綾冬の進言により、封牙家で「楽市楽座」が施行される。 | ||||||||||||
1570年 | ||||||||||||||
2月 | 封牙舞 | 近畿戦線、水無月瑠璃が付近の独立勢力を説得で味方につける。 | ||||||||||||
3月 | 封牙舞 | 近畿戦線、本願寺の要害岸和田城を榊原小神軍団総力をもって陥落させる。 | ||||||||||||
4月 | 封牙舞 | 近畿戦線、平岩親吉が本願寺の根来城を攻めるものの敗れる。 | ||||||||||||
6月 | 本願寺顕如 | 大軍をもって封牙家の岸和田城を包囲する。 | ||||||||||||
9月 | 封牙舞 | 各地を放浪していた紫月織雅が、本願寺に包囲されている岸和田城に突如現れ再び仕官、共に籠城する。 | ||||||||||||
10月 | 封牙舞 | 近畿戦線、岸和田の城兵をわざと少なくして包囲していた本願寺軍に攻め込ませる。少数ながらも撃退に成功する。 | ||||||||||||
甲信越戦線、武田の海津城を完全包囲。武田は内部から崩壊して滅亡する。武田信玄も姿をくらます。 | ||||||||||||||
12月 | 封牙舞 | 近畿戦線、本願寺近畿方面最後の要害雑賀城を攻撃するが、圧倒的な鉄砲連射によって取り付くこともできずに退却する。 | ||||||||||||
本願寺顕如 | 雑賀の戦いに勝利した余勢をかって岸和田城を再び大軍で包囲する。 | |||||||||||||
1571年 | ||||||||||||||
2月 | 上杉謙信 | 封牙舞の海津、小諸で数度の小競り合いが起きる。 | ||||||||||||
3月 | 封牙舞 | 甲信越戦線、上杉家の柿崎景家と上田原にて激突。勝利する。 | ||||||||||||
5月 | 封牙舞 | 近畿戦線、包囲されている岸和田城から闇夜に紛れて水無月瑠璃を大将とする別働隊が密かに出陣する。 | ||||||||||||
7月 | 封牙舞 | 甲信越戦線、第二次上田原の戦い、大将封牙舞以外の全味方武将が部隊壊滅するという文字通りの激戦の末に上杉軍を破る。この戦いで上杉の柿崎景家戦死。 | ||||||||||||
8月 | 封牙舞 | 近畿戦線、別働隊が手薄となった「鉄砲要塞」雑賀城に総攻撃をかける。圧倒的な鉄砲数はかわらないが、指揮するべき将の違いからこの要害もついに陥落する。 | ||||||||||||
9月 | 本願寺顕如 | 雑賀城落城を知り、包囲している岸和田が実は別働隊を出して手薄だと知る。顕如自ら鈴木重秀、荒木村重らを率いて総攻撃をかけるが、榊原小神、紫月織雅、御巫綾冬の采配によって撃退される。 ここに、近畿の覇権をかけた「岸和田・雑賀の戦い」が終了する。 |
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10月 | 封牙舞 | 本願寺の掃討戦に入るが、顕如はすでに北陸に逃れていた。 | ||||||||||||
11月 | 北条氏康 | 天下を目指した北条氏康、病にて没。その志は北条氏政に継がれる。 | ||||||||||||
封牙舞 | 近江戦線、榊原小神軍団が小谷城にて浅井長政と激突するが、ついに決着はつかず一時城外に布陣。 |
第1部 | 1560年 | 魔王地に墜ち 新星尾張に舞う |
第2部 | 1565年 | 山城に旗靡き 四面に奔走する |
第3部 | 1572年 | 魔人咆吼して 逢魔ヶ刻迫まる |
第4部 | 1579年 | 天下一統され 逢魔ヶ刻来たる |
第5部 | 1583年 | 秋風に木葉舞 冬風に雪散りぬ |